断食合宿・その②

 

いくぞ!と意気込み、予約をしてから後、会社ではその期間中に研修があることが発覚したりしたが、会社の用事は欠席し、合宿へ。

 

相方も、上司も苦言を呈さなかった。今思うとこれまで数年自分をかなり犠牲にして働いてきていたし、たまにはいいだろうと思ってくれたと信じることにした。

 

予約後の約1か月はあっという間に経過し、遂に合宿当日。

 

開催は名古屋から東海道線で少しの大府というところ。

名古屋から行ったほうが近いのだが、交通費の節約と、昔住んでいたのであえて通りたくて豊橋下車し東海道線で大府へ下る。

 

合宿帰りにも豊橋に寄る予定にしていた。どれだけ好きなんだ、豊橋

 

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それにしてもいつも旅行に出る時、空港や、新幹線のホームに立つとゾクゾク、ワクワクして鳥肌が立つのだが、今回はそれがなかった。旅行というのとちょっと目的が違うからだろうか。

乗ろうと思っていたのぞみ号に乗れなくて精神的余裕がなかったからだろうか。

とにかくドタバタ出発して無事に大府へ到着。

 

駅では川邊先生自ら参加者を誘導していた。にこやかで独特のオーラのある方。

 

駅からバスに乗り愛知健康の森へ皆で向かう。

 

どんな3日間になるのだろう。

 

ジリジリと焼け付くような真夏の日差しを受けながらバスに揺られてぼーっとそんなことを考えた。

 

 

 

続く。

 

 

 

二泊三日の断食合宿・その①

数年前から行きたかった断食合宿。

それは岐阜で川邊総合療術院をされている院長川邊先生主催の二泊三日の毒出し集中セミナーである。

これもまた私の愛読雑誌murmur magazineに記事が掲載されていてとても興味をもっていたものだった。

先生が体調のメンテをしてくれることや、野菜のスープなどが出て、無理なく行える内容というのも安心感があった。

今思うとここ数年は自分で自分を追い込んでいる時期だった。仕事において、無理ばかりしていた。そしてそれでいいと思っていた。頼れるものは自分しかいないし、今はストイックにやる時なんだと思い込み、頑張ってきた。
そうでもしていないと、つぶれそうだったのだ、体も、心も。

それでまとまった休みは取っていなかった。
だから二泊三日の断食合宿も今は行けないとずっと保留にしていた。

時間がない、近場じゃないから、費用が割りとかかるから、とか何がしかの理由をつけて行かないでいたのだ。


今思うと、私が率先して休まないと、同じチームのスタッフも休みにくい雰囲気になってしまっていただろうし、そういう細かいところでストイックすぎて、仕事が面白くなくなるチームを作ってしまったかもなぁと反省している。

が、転機が春にやってきて、部署が異動になったら今まで一人でやっていたことを協同でできるパートナーを得て、とても肩の荷がおりて楽になった。

それと共にきちんと休みを取ろうという風土があったのでみんなその為に仕事を頑張っているし、他に休む人があればその時は頑張ってくれるし、とてもよい環境があり、私ももれなくまともな連休を数年ぶりに取らせてもらうことになったのだ。

そうしたら思い浮かんだのはずっと行きたかった断食合宿!もう、これしかないと思った。

決めたら速い。あっという間に問い合わせをして、申込書が届いて申し込みをし、二泊三日の断食合宿に参加が決定した。


続く

22日間の冒険・アバンダンスプログラム

というわけで6月の新月から開始したアバンダンスプログラム。

 

22日間、毎日なにがしかのミッションが与えられる。22という数字は秘儀の世界で最も高い具現化を表すそうだ。しっかりとしたゆるぎない基盤を築くためのマスターナンバーであると記されている。

 

このプログラムの為に、毎日15分間から1時間ほどの時間を創出するように生活した。

 

私は実際には途中なかだるみしたりして22日間では終えられず、22日プラス数日経過して終了したのだが、22という数字の力を効果的に得たいなら22日で終わらせられるのが理想的だろう。

 

プログラムのお供はアバンダンスオイルとアバンダンスエッセンスである。毎日お風呂のお湯にオイルを垂らしたり、指定される場所にすりこんだり、エッセンスは飲用する。

お蔭で毎日シャワーだけで済ませがちだったがこの期間はコンスタントに湯船に入っていた。

 

22日プラスアルファの日々には様々な気付きや変化があった。

 

・プログラムの為に時間を作った

・時計を不要なものに感じることが多かった(時を刻まれていることに違和感を覚えた、実際この期間に大きな時計をひとつ処分した)

・自分が生きてきた中で作り上げてきた無意識のルールや決め事が自分の行動、意識を制限していると分かった

・体も心もルーティンが好きらしい

・あえていつもと違う行動をしてみると意識も変わるようだ

・自分をすべて受け入れ、見守ってくれる存在がいることを実感した

・瞑想することで脳の中が整理される

・自分の中心にあるものはそう多くのことを望んでいないと知った

・夢を叶えることに積極的になった

・行動を起こすまでのスピードが速くなった(迷わなくなった)

・期間中、自分の中からだけでなく、人の口から、テレビや本などからメッセージを伝えられることがよく起こった

・感謝するようになった

 

毎日楽しみながら、今日はどんな冒険ができるだろ、どんな気付きがあるだろうとワクワクしながらあっという間に22日プラスアルファの日々が過ぎていった。

 

この期間中、ささたくやさんに会いに行けたり、ソールドアウトしていたライブのチケット特別追加販売が決定して行きたかったライブに行けたりちょこちょことラッキーなことが起こっていた。

 

変化のためのプログラムを実行しているからそういうことも非常に前向きに捉えられるし、メッセージが色んなところからやってくる感じがしたのも、自分が変化したいという気持ちで行動していたから、アンテナが敏感になっていて様々な変化に気づきやすくなった期間だったのだと感じる。

 

自分が心から望んでいることの片鱗にたどり着き、悲しい自分の過去を赦し解放し、大小構わず望んだ夢を叶えること、幸せになることを完全に許可した22日。

 

まだまだ冒険は終わらない。

 

これからの夢、料理教室に通う、エコビレッジに行く、ヴィパッサナー瞑想を体験する、その他様々な経験をするための時間を創出できる、様々な経験をするための安定的な収入源を得る(現在の仕事以外で)

 

沢山の経験をして、アウトプットする。

 

そんなことがいつか形になるといいな。

 

沢山の気づきを与えてくれたアバンダンスプログラムと紹介してくれた友人に感謝。

 

やっぱり人生は冒険だ。

変わりたいと願うこと

先日のblogにも書いたが、5月田植えに行ってからというもの、完全に何かのスイッチが切り替わった。

そこからは、違和感のある毎日。

もっと自然と近いところで自然のリズムと共に生活したい、消費するだけでなく、生産性のあるくらしがしたい。

けど、具体的に何をどうしたいのかはよくわからん。
今の生活をがらりと変えることへの不安。
どうにか次の道を具体的に見つけたいけれど、なかなか具体的に考えられず、違和感の募る日々だった。

変わりたいと願っている心の声はどんどん大きくなるばかり、それはこれから先の生き方が変わるだろうという大きな予感につながっていく。

そんな中、友人のセラピストが紹介してくれたのがPacific Essences の「Abundance Program 」

22日間、フラワーエッセンスの力を借りて、願いを叶えるための様々なプログラムを行うものである。

何を欲しているのか、次に歩む為の道筋をはっきりさせたかったし、スピリチュアルなものやセラピーは大好きなので私は飛び付いた。

そのようにして6月の新月から22日間の冒険が始まった。



続く

7月の出逢い・その後②

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ようやくその人に会えたのは7月6日。

食堂を大塚のシェアハウスで開くという。

そのシェアハウスの立ち上げには彼も参加していて、その活動の片鱗が伺える場所に行けると思うとワクワクした。

割りと突然決まった日程で、平日だったし、予定がなく気軽に出てこれる友人がつかまらず、
一人で行くか!と緊張しながらも決意すると、目的地に向かう途中で友人から連絡が入り行けるという。

一人でも行くつもりだったけど、なんせ会ってみたくてしょうがなかったのでドキドキしすぎて(恋か!)誰か一緒にいってほしかったのが本音だったから、とても嬉しくて電車の中でちょっとだけやった!と叫んでしまった。

そんなふうに、思春期の学生みたいに胸をトクトクと高鳴らせつつ、夜勤明けだったので軽くぼーっとしておかしなテンションでトランス状態の中、大塚へ。

大塚駅で待ち合わせた友人は関西に行ってきた帰りだとのことで、本当に偶然に予定があったのだと。う、うれしい。

シェアハウス大塚たく庵はビルや住宅の一角にあった。

玄関を入ると、突然叫び声が。

何が起こったのか一瞬わからなかったが、なんとその日、そこで食堂を手伝っていたのは、高校時代の同級生だった。


まさかの、なんのつながりもなさそうな場所で旧友にばったり再会するという。

そしてまたお客さんで来ていた方々も、以前Brown's fieldに田植えに行ったときにごあいさつしたBrown's fieldのスタッフさんだったりと知った方に出会えたり。

知らない方ともお話をしたけど、同じようなことが好きな人達が集まってくるんですね、不思議なことに。

それもこれも、あの場所で、何かをしようとする人のエネルギーに引っ張られて同じようなものが集まってくるんだろうと感じた。

そして、ずっとエネルギーを感じたかったささたくやさん。

彼はなんと表現したらよいのか、その場に、ふわっと存在していた。

床の間に配された美しい草花のような。

なんというのか、なんだか植物みたいなイメージがあった。その場にいて完全に調和しているんだけれど、存在感をそこはかとなく漂わせているというか。

とても素敵な方だと思った。

私は初めて会えた嬉しさと、その存在感に圧倒されたのと、頭がぼーっとしてあまり積極的にお話できなかったのだけど、彼と、お手伝いしている友人を含めた素敵な人々が作ってくれたローフードを頂いて、お腹も心もいっぱいいっぱい。

その場では、旅や海外の話、食べ物のこと、瞑想や断食やエネルギーワークなどの話が飛び交っていて、それが当たり前のような空間にいられる事がとても幸せで幸せで。

日常生活を送っている自分はそういうことはプライベートでしか出せないことだったので、同じような仲間がいることにとてつもない安心感を覚えた。

ささたくやさんとの出逢いは=あたらしいくらしへの出逢い。

これから大きな変化が自分に起きる予兆をずっと感じてきている私への応援のように思えてなりませんでした。

7月の出逢い・その後①

そんなわけで、ささたくやさんのことを改めて思い出すに至った。

 

彼はふいにまた現れた。

実のところ、不思議なことになんでそこにたどり着いたのか具体的経緯を全く思い出せない。

 

Keikoさんはyogaの先生のshihokoさんからの情報で、ヤナさんはKeikoさんの友人。

 

その人に行き当たったきっかけって覚えているものだけど、なぜかさささんは思い出せない。本当にふいに現れたのだ。

 

ふいにまた現れたその人物について調べたところ、彼は四国を拠点に自給自足の生活をし、国内外に趣き自身の旅の話をしたり、音を奏でたり、ローフードのお食事会を開いたり様々なイベントに顔を出して活動しているようだった。

 

 そんな中murmur magazine for menが創刊されて、彼の今までの歩みやこれからのヴィジョンについて知り益々興味をもった。

 

とにかく、私の興味のあることに精通していて、それを人に披露することできっかけとなるものを人に与えている、そういう活動をしているその人に私はとても会いたくなった。

 

6月、関東への巡業が決まっていたので申し込むがあっという間にキャンセル待ちに。

結局参加はできなかった。

 

6月下旬、アバンダンス開始中に関東巡業の日程が追加された。今回は定員なしのイベントだった。確実に会える切符を手にした私は大興奮だった。

 

そして7月。

 

続く

7月の出逢い・いきさつ

ささたくやさんを知ったのは、恐らく数年前のことだと記憶している。

 

私の好きなmurmur magazineという雑誌に連載をしていたのだった。

 

数年前は連載を読んではいたが強く惹かれるということはなかった。

 

なのにここへきて、なぜ会いたい、そのエネルギーを感じたいと強く願うまでに至ったのかを思い出してみる。

 

 

6月、音楽仲間のmaiちゃんに誘われて千葉県のBrown's Fieldでの田植えに参加してきた。

 

ヤギの家族、猫ちゃん、犬、おたまじゃくし、ざりがに、たがめ、トンビ…たくさんたくさん都心に近いところでは出逢えないものたちと触れ合って、呼吸できてる、楽しい!と純粋に感じた。

 

その頃位から、どうも都心に近い暮らしへの違和感が強くなった。もういつからかその気持ちは少しずつ芽生えていたのだが、イベント参加後にそれが増した。

 

移住、自然と共生、そんなキーワードで物事を調べたりしていた。

その時はHawaiiに住むKeiko Forestさんにも興味があり、Keikoさんの友人のヤナさんについての暮らしをまとめた「ヤナの森の生活」を読んだりもしていた。

 

自然に囲まれ、自然と共生し、必要な分だけのものを頂いて生活するシンプルな暮らしを知り、私の中でのそういった生活へのあこがれは増していった。

 

会社員として生活しているが、上司からここでふんばれ、ここであきらめなかった人が勝つんだ、と言われた数年前から私は何に勝ちたいのかよくわからなかったし、そもそも勝ちたいと思っていなかった。

 

仕事にやりがいはあるが、今のままワクワクしないことでストレスを抱えて体を痛めつけながら都心近くで雑踏に紛れて、もののあふれる中で暮らしているとどんどんヒトという生き物としての感覚がマヒしていくようだった。

このまま違和感を感じたまま年老いていくのが怖かった。

 

心がワクワクすること、求めていることを情報収集をしていく内にささたくやさんにたどり着いた。

 

少し変わったこの名前を私は知っていた。どこかで聞いたな…とよくよく考えてみるとmurmur magazineで連載をしている方だったのだ。

 

続く